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今に息づく古の技・江戸小紋 若き四代目の視線の先

今に息づく古の技・江戸小紋 若き四代目の視線の先

江戸小紋をご存知だろうか。侍の時代、武士の裃に施された模様がルーツの伝統的な染物のことである。その伝統の技が21世紀の今日もまだ受け継がれている。今を生きる職人の技と、それを見守る愛犬を訪ねた。(Shi-Ba 2017年7月号 Vol.95より)

  • サムネイル: Shi-Ba編集部
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東京のごく普通の町中に江戸の粋が今も漂う

東京都新宿区の西端、特に変わったところもないごく普通の住宅街。その一画に廣瀬染工場はある。工場といっても、そこには古い日本家屋に多くの植木が並ぶ庭があり、機械の音はしない。染工場、つまり布を染めていく工場。工房という名の方が相応しいかもしれない。

東京のごく普通の町中に江戸の粋が今も漂う


染工場、つまり布を染めていく工場。


ここで染め上げられているのは、江戸小紋。細かな文様を染めていく技術の総称が、江戸小紋。この技術を継いだ若き四代目・廣瀬雄一さんと、愛犬コモンに会いに来た。

細かな文様を染めていく技術の総称が、江戸小紋。


ここで染め上げられているのは、江戸小紋。


この技術を継いだ若き四代目・廣瀬雄一さんと、愛犬コモンに会いに来た。


いつも限界に挑戦している その言葉に職人の矜持を感じる

ひんやりとした空気と鋭い視線に引き締まる思い

一見、無地に見える生地。しかしよく目を凝らして見ていくと、細かい文様が全体に入っているのがわかる。それが江戸小紋。文様をアピールしないところに、古人のおしゃれのセンスを感じる。

その歴史は、意外にも室町時代にまで遡る。当時は鎧の革所や家紋に用いられており、技術の発展と普及は江戸時代に入ってから。江戸初期は武士の裃などの礼装に用いられていたが、中期以降は一般の人にも親しまれるようになった。

染作業を見せていただいた。まずは「板場」と呼ばれる作業場へ。廣瀬さんが型付けを始める。それまで和やかに話していた表情は一変して、厳しい視線に。

型付け作業中の廣瀬さん。上に並んでいるのは、型付けの時に白生地を貼り付ける長板。

型付け作業中の廣瀬さん。上に並んでいるのは、型付けの時に白生地を貼り付ける長板。

1反13メートルの生地が長い板に貼られている。そこに50センチほどの「伊勢型紙」を慎重に置き、糊を均等に塗りつけていく。これを1反の端から端まで繰り返す。継ぎ目部分は当然ずれがないよう、さらに鋭い眼差しで型紙を合わせていく。

これが職人の技である。
「いつも限界に挑戦している、という気持ちでいます」
ひと通り型付けを終えた廣瀬さんはそういった。技術だけではなく精神力も大切だと見ていて感じる。

色糊を調整する作業を、若い職人たちと行う廣瀬さん。年齢層が低いのは珍しく、それが廣瀬染工場の特徴である。

色糊を調整する作業を、若い職人たちと行う廣瀬さん。年齢層が低いのは珍しく、それが廣瀬染工場の特徴である。

江戸小紋はあくまでも染の技術である。生地や型紙はここでは作らない。江戸小紋と切り離せないのが、伊勢型紙。今でも伊勢で作ってもらっているという。
「昔は型紙ひとつで30反は染められましたが、今では10反程度です。型紙には楮の和紙を使用するのですが、いい地紙が少なくなっているのです」

また、型紙を作る職人と、模様を作る職人も別とのこと。模様を作る職人は図案家という。デザイナーのようなものである。この図案家も今はほとんどいないらしい。
「ですから、自分でパソコンを使って文様を作ることもあるんです」

これまで作ってきた色糊は、すべてこのノートにサンプルとして残されている。

これまで作ってきた色糊は、すべてこのノートにサンプルとして残されている。

工房の傍に貼ってある色名の表。日本人は色に対し、かくも美しい名前をつけていったのだ。

工房の傍に貼ってある色名の表。日本人は色に対し、かくも美しい名前をつけていったのだ。

江戸小紋・作業工程

①色糊の調整

①色糊の調整


染めに使用するのは染料と糊。この糊はもち米と糠を混ぜて蒸し、そこに染料を入れて作る。出来上がった色糊は、晒しで絞って漉していく。とても大切な作業で、試験染めを繰り返して慎重に作っていく。

とても大切な作業で、試験染めを繰り返して慎重に作っていく。


②型付け

②型付け


長い木の板に白生地を貼り付け、そこに型紙を乗せて模様を付けていく。染めの最も重要な作業である。ここで塗っていく糊は、後の地色染めのあと水で流す。つまり白く残す部分に塗りつけていくのだ。

つまり白く残す部分に塗りつけていくのだ。


③地色染め

②で型付けした生地の糊が乾いたら、板から生地を剥がし、今度は地色糊を生地全体に塗りつけていく。これを地色染め、あるいはしごき染めと言う。生地全体を染めていく作業である。

④蒸し

④蒸し


地色染めが終わったら、塗り付けた糊が乾かないうちに生地を蒸す。染料の定着作業である。ヒノキ製の蒸し箱の中はおよそ92〜93度。そこで30分ほど蒸すのだが、その加減の判断には熟練を要する。

⑤水洗い

蒸しあがった生地は、水の張った水槽に入れて水洗いをする。ここで洗うのは型付けの時に塗った糊。いわばマスキングの役割をしていた糊を落とすのである。昔はこの作業、川で行っていた。

⑥天日干し

しっかりと水洗いを行った生地を乾燥させるために、天日干しをする。よく晴れた日に染め上がった生地がはためく様子を見て、あと一息で完成という満足感も。その後、湯のしで生地の幅を整える。

⑦地直し

湯のしまで済んだ生地を隅々までチェックする。もし、型つぎの部分に乱れがあったり、ヘラムラなどがあった場合は、筆に染料を付けて直しを施していく。これで完成。

同じ色を作ってもその時々で微妙に異なる

お金を出して買いたいと思うものを作らなければ

次に「色場」を拝見する。色糊を作ったり、生地を蒸したりする場所である。
もち米と糠に染料を入れて作る色糊は、夏は虫が湧く。

「ですから、染料を入れてからは賞味1日です。変色もしてしまいますから」

この色糊の色もまた、実に和を感じる味わい深さがある。文様とともに色も、江戸小紋を表現する大きな要素なのである。

話をしている時と、作業をしている時の目は違う。

話をしている時と、作業をしている時の目は違う。

「実際に染め上がった時には、色糊の見た目よりも薄く染まるので、そのあたりも考慮しながら作ります。同じ色を作っても微妙に違うことが多いですし、親子でも異なるんです。もともと持っている感覚というのが現れるのだと思います」

色糊を晒しに乗せ、それを絞って漉していく作業もまた絵になる。
外に出ると、おがくずが干されていた。生地を蒸す時に使用するものである。脂の少ないモミやヒバが使われるのだが、これも今ではかなり手に入りにくいとのこと。

「今はおがくずは廃材ではなく、わざわざ木を刻んで作っております」

蒸しで使用するおがくずをあく抜きしたあと庭で干す。丸一日かかる。使用する木はモミやヒバなど。

蒸しで使用するおがくずをあく抜きしたあと庭で干す。丸一日かかる。使用する木はモミやヒバなど。

型紙の和紙といい、おがくずといい、江戸小紋を伝承していくためのハードルは、高くなってきているのだ。
それだけに商品価値も必然と上がってしまう。だからこそ、自分が作る江戸小紋の品質にはこだわっていると廣瀬さんは言う。

「例えば自分がお客さんだったとして、自分が作った江戸小紋の商品を買うかどうか、ここが一番大切だと考えています」

そのためには、持てる技術を駆使し、作業の一つ一つに思いを込めて納得のいく反物を染め上げていく。そうすることによって、多くの人に満足してもらえる品物ができる、というのがいわば廣瀬さんの哲学と言ってもいい。量産品との立ち位置の違いははっきりしている。

おっといいのかコモン、そんなところに乗っかって。もちろん主人の許可は得ています。

おっといいのかコモン、そんなところに乗っかって。もちろん主人の許可は得ています。

伊勢型紙・模様・製品

江戸小紋で使用される模様は、伊勢型紙と呼ばれるもの。その名の通り、伊勢で作られる型紙である。江戸小紋の代表的な模様として、「鮫文様」、「通し文様」、「行儀文様」などが挙げられるが、廣瀬さんオリジナルの「すかる」など、時代のニーズも取り入れている。その製品も着物だけでなく、日常使いの製品までラインナップされている。

よく見ると、鮫文様に見える伊勢型紙。

よく見ると、鮫文様に見える伊勢型紙。

型紙部屋には過去使用された型紙がいっぱいに保存されていた。

型紙部屋には過去使用された型紙がいっぱいに保存されていた。

廣瀬さん作成のデザイン「すかる」。

廣瀬さん作成のデザイン「すかる」。

左が「えびす大黒」、右が「すかる」の完成した反物。

左が「えびす大黒」、右が「すかる」の完成した反物。

江戸小紋の施された製品は時代によって移り変わる。その中でも、ショールやネクタイは、現代江戸小紋の定番商品と言っていいかもしれない。

江戸小紋の施された製品は時代によって移り変わる。


その中でも、ショールやネクタイは、現代江戸小紋の定番商品と言っていいかもしれない。


コモンに心和まされながら伝統の道は極められていく

広い庭でマイペースに過ごす五代目のお兄さん役なのだ

廣瀬染工場と母屋の間にある広い中庭で暮らすのがコモン(オス・6歳)である。
「7年ほど前に黒柴と暮らしたいと思っていた頃、ブリーダーさんのところから来たのです」

黒柴が欲しい、と思っていたところにコモンが来た。

黒柴が欲しい、と思っていたところにコモンが来た。

当時は庭で放し飼いにしていた。ところがある日、事件が起こった。
「夜になって、庭にコモンがいないことに父が気づいたのです」

家の周りを探したが見当たらない。どこに行ってしまったのかと心配していると、「警察にいる」いう情報が。
「どうも、パトカーに乗って連れて行かれたようなんです」

コモンはパトカーに乗ったことがあるのである。なかなかの大物だ。しかしそれ以来、庭にいるときも長いリードが付けられてしまった。

お気に入りの庭石の上で笑顔。

お気に入りの庭石の上で笑顔。

コモンは工場を訪れるお客さんや仕事関係の人たちにも大人気だ。それは何となくわかる。愛想がいいわけではないが、ツンケンもしていない。柔らかい物腰で誰も拒まない、という雰囲気を醸しているコモンの気質によるものなのだろう。

「五代目」の息子・貴一くんに何をされても、怒ることはない。例え上に乗られても、リードで巻かれても、文句は言わない。よくできた兄のような振る舞いで、貴一くんの遊びに付き合っている。それが何とも微笑ましい。

貴一くんがお世話している、つもりだが、どうもコモンの方が付き合ってあげているようである。

貴一くんがお世話している、つもりだが、どうもコモンの方が付き合ってあげているようである。

「そんな様子を見ていると、リラックスできますね。気を張り詰めて作業した後にコモンの姿を見ると、気持ちが安定してきます」
江戸小紋が出来上がる過程で、コモンの存在も少しは力になっているのかもしれない。

「五代目」貴一くんとともに工房内で。貴一くんとコモンと一緒にいる時の廣瀬さんは父親の顔をしている。

「五代目」貴一くんとともに工房内で。貴一くんとコモンと一緒にいる時の廣瀬さんは父親の顔をしている。

現代の江戸小紋染師・廣瀬さんは、新しい文様や商品などを考案し、今を生きる江戸小紋の姿を常に模索している。伝統だけには縛られず、かと言って流行を追うでもなく、この時代の江戸小紋の存在価値を求めて日々五感を研ぎ澄ませている。
その傍にコモンがいる。すべてを知っているような、知らないような表情でいつもそこにいる。コモンの表情に心和まされながら、廣瀬さんはさらに道を極めていく。

「コモンがいるからリラックスできる」と廣瀬さん。伝統の江戸小紋を、コモンも支えているのである。

「コモンがいるからリラックスできる」と廣瀬さん。伝統の江戸小紋を、コモンも支えているのである。

廣瀬染工場

左から、職人・斉藤快典さん(この日入社2日目!)、廣瀬雄一さん、コモン、貴一くん、職人・船越智さん。

左から、職人・斉藤快典さん(この日入社2日目!)、廣瀬雄一さん、コモン、貴一くん、職人・船越智さん。

大正7年(1918)創業、来年は100年を迎える江戸小紋の染工場。
東京都新宿区中落合4-32-5
http://komonhirose.co.jp/
TEL&FAX:03-3951-2155

Text:Takahiro Kadono Photos:Miharu Saitoh

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