【猫びより】【この猫に会いたい!】はしもとみおの猫彫刻(辰巳出版)
全国の美術館などでの展示も好評を博す、動物彫刻家・はしもとみおさん。近年は猫の彫刻を数多く手がけている。生きているかのような彫刻の裏には、並ならぬ高い志と強い願いがあるようだ。(猫びより 2018年1月号 Vol.97より)
- 更新日:
相島の猫たち
はしもとみおさんは、2014年から福岡県・相島(あいのしま)に住む猫たちに取材して作品を制作してきた。きっかけは、全国各地に「猫の島」があると聞いたこと。調べているうち、近くに友人が住む相島に行き着いた。はしもとさんは、この島の猫のどんなところに魅せられたのだろうか?
「とにかくオスの顔が大きいのが魅力です。特にボスになるオスはほっぺたがまんまるに張って、なんとも福を呼びそうな顔つきになります」
確かに、はしもとさんが彫り出した相島の猫は丸顔揃いだ。しかし、一つとして同じ物はなく、それぞれが強烈な個性を主張している。
チグリス君の彫刻と本物のチグリス君(下)。彫刻には温厚さがにじみ出ていて、全体の形は丸みをおび、彫り跡も優しい。似た模様のユーフラテス君とセットで名付けられた
例えば、チグリス君。どーんと後ろ脚を投げ出して毛繕いをしている時に、ふと視線を上げた時の姿だろうか。「チグリス君は、人懐こく、甘え上手で、たくさん美味しいお魚を島の人にもらえるせいか、プクプクと太っています。どの猫とも仲良くできる優しい男の子です。ケンカは苦手なようで、あまり怒った姿を見たことはありません」と、はしもとさん。豊満な体からは栄養状態の良さが、顔からは温厚な性格が伝わってくる。
銀次君の彫刻と本物の銀次君(下)。体つきがたくましい。彫り跡は、まるで歴戦の傷のようであり、モデルの生き様のように荒々しい。耳が欠けているところもきっちり表現
逆に銀次君という猫の彫刻は、眼光が鋭く、虎のように猛々しい。やや後ろに引いた姿勢や四肢のたくましい肉付きからは、きっと警戒心もケンカも強いのだろうと一目で察せられる。
どの猫もクスノキから彫り出されていて、ノミ跡もくっきり残っている。単純に姿形が忠実に再現されているわけではない。ところが、作品の前に立つと現実の猫と向き合っているような錯覚に陥る。現に命を持って呼吸をしているかのような彫刻たちは、どのようなプロセスで、どのような思いを込めて作られるのだろうか。
はしもとさんは、彫刻を外に置くのを好む。白い台座の上より生き生きとするからだそう
猫を彫らば空間まで
「猫は悪さをしようが、懐かなかろうが、いかなる状況でも人間を魅了してきます」とはしもとさん。姿形自体が人間を魅了する種族だと考えている
はしもとさんが初めて猫を彫ったのは、大学時代のこと。家出したまま戻らなくなったトム君という猫に、もう一度会いたいという一念からだった。制作は意外な理由で難航した。
「いざ作ろうと思うと、鼻の横に黒いブチがある子なのに左右どっちにあったのか思い出せない、体の模様はどこでどうなっていたっけ、と、8年間も一緒に暮らしたはずなのに、トム君のこと、ちっとも知らなかったんだと愕然としました」
相島でのデッサン。
この時の苦い思いもあってか、はしもとさんは、徹底的な観察によるデッサンを制作のベースに据えてきた。しっかりと目で見るのはもちろんのこと、手で触れて、モデルの印象を全身的な感覚で記録するような観察によって描くこと。その積み重ねによって見えてきた、猫を彫る難しさとコツをこう語っている。
「猫は犬ほど種類もなく、ほとんどが同じくらいの大きさ、同じような毛色、同じようなスタイルと顔をしています。ましてや兄弟ともなれば、その差は飼い主さんにしかわからないぐらい似てきます。猫を制作する際に一番難しいのは、そのあまりにも微細な個体差を見分けることです。ほんの少しの違いを見落とさず、性格をふくめてよく観察していくことで、個体差が彫刻に現れてきます」
毛の質感や体の丸みなどが立体的に表現されていて、彫刻作品にすることを前提に描かれていることがわかる
現在のはしもとさんは、正しい形、量、色を捉えるだけでは飽き足りない。さらに一歩踏み込んで、猫が現に生きている土地に出向いて同じ空気を吸いながら描いている。そうすることで、猫だけでなく、猫がいた空間そのものを連れてくることさえ目指しているという。
「島でたくましく暮らす自然の中の猫の姿を、そのままの空気で伝えたいと思っています。東京の真ん中でも、猫の島に迷い込んだような感覚になれる、そんな展覧会を作ることを目指しています」と抱負を語る。
猫をまるごと彫り出す
彫り始めの作品。モデルと向き合って描いた絵を置いて、現場で全身的に吸収した情報を引き出しながら彫り進めていく
動物の存在そのものを彫り出そうとするかのような途方もない志。根底には、人間にとって普遍的な、不可能な願いがある。
「この世界で一番の願いは、死者にもう一度会えることだと、いつも思います。それはもちろんかなうことはなく、時はいつも一方通行だからこそ、生き物は美しく、移り行くものは皆いとおしい存在になるのでしょう。そんな中で、いなくなってしまった命にもう一度触れたいという思いから、彫刻で動物を作る仕事をしています」
人知れず生きて消えていく島の猫たちの生涯を夜空の星のように美しいと言うはしもとさん。「一匹一匹が持つ命の物語を彫刻を通じてたくさんの方に触れ、感じてもらえたらいいと思っています」と意気込む
今生きている猫もいつかは死ぬ。だからこそはしもとさんは、「今この時代に生きる猫のそのままの姿を残していきたい」と、幸せも悲しみも、生も死も猫の全てをきっちり作りたいのだと言う。そうすることで、作者の手を離れた彫刻が、誰かにとって本物の猫のような存在になるよう願っているそうだ。
「ただの一匹の猫の一生の物語が作れたら本望です。自分にとって、宝物であり家族である彫刻が、誰かにとってかけがえのない存在になるように、ただの猫や犬のように人のそばにいてくれる、たった一つの命の物語をそのまま残していけたらいいなと思っています」
「そのままの生き物の姿が一番の美術」と言い切るはしもとさんにとっては「夢も奇跡も感動もすべて現実の中」だそう
写真提供・はしもとみお
文・斎藤 実
Mio Hashimoto
1980年兵庫県生まれ。東京造形大学と愛知県立芸術大学大学院で彫刻を学ぶ。一貫して動物をモチーフとした木彫を制作。画廊だけでなくカフェや図書館などでの展示やワークショップも積極的に行い、一宮市三岸節子記念美術館(2014年)、福知山市佐藤太清記念美術館(2016年)、おかざき世界子ども美術博物館、広島県三良坂平和美術館、ヤマザキマザック美術館(以上2017年)にて個展開催。
http://kirinsan.awk.jp